Sunday, July 24, 2011

マリーゴールド (三十八)

「バビ」
 ともう一度マリーが今度は本当に弱気な声でささやいたから、おばあちゃまは慌てて我に返って、咄嗟にマリーの両目をカサカサの掌で覆ってこれ以上父親の苦しみを見ることができないようにした。
 雨は東屋の軒から大粒になって落ちて、遠くの空にはロケットの尾ッポらしき淡い閃光が拡がっては消え、拡がっては消え、やはり不穏な空気は払拭できず、それに加え、泥の中のパピ、あれは本当にバジさんなのだろうか。雨は益々強くなる一方で、まだ日没でないのに辺りはもう真ッ暗だ。気温も下がって、マリーの腕も瓜のように冷えた。おばあちゃまの疲れた掌がマリーの両目からはらはらと振り落ちた。
 あ、バジがもがいている。泥が空中に撥ね上がって。茶色、黄色の泥。その中をバジがほとんど泳いでいる。上から押さえ付けられてもいる。オイ、上から押さえ付けられているなら、下に潜れ。逆から攻めろ。でも、下には地面が不屈に構えているのだ。バジさん、貴方はよく「打破、打破」なんて言うれど、実際はとても難儀なことなのですね。
 押さえ付けているのが誰なのか、雨で濡れ過ぎて、暗くてよく分からないのだが、インド人にも見える。否、でも日本人らしき影も見えるし、と言い始めれば、そう簡単には判別がつかない。ときどき一人の罵声が聞こえて、ただ何語か本当に分からないのだが、その都度周りが恐ろしいほどの声量で掛け声をかけながら、蹴る、踏み付ける、靴の裏で撫で回す、の暴行を加える。その度にバジは全身を震わせて、泥を土を飲み込んで、靴の底を舐め回して、笑うしかなく、でも泣きもしていて、でももうそれ以上泣けなくて、急に暴力が止んだと思った途端、また新たに一発蹴られた。
 あ、ちょっと待って下さい。智子も暴行する側に加わっていませんか?
「智子」

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