Sunday, September 12, 2010

マリーゴールド (二)

などと呟きながら、自分のハンドバッグの中身を手当たり次第かき回し始めた。でも今朝、目薬をわざわざバッグの中から出して家に置いてきてしまったのをしっかりと覚えている。でももしかすると、ティッシュは古いのが隅に残っているかもしれません。

いや、でもやはり無いものは無いナ、申し訳ない。むつ美はバッグにもう一度手を突っこんでみたものの、どうしてよいか分からなかった。

 一方、K子は自分のピンクと紫の薔薇模様のハンカチを取り出して、首をあちらこちらに曲げながら目頭にあてがっていた。その間も、機関車のトーマスはまた明るい笑顔で戻って来て、忙しなく隣をガタピシ通り過ぎて行った。

 結局むつ美が何もしてあげられないまま、K子はトーマスが半周する間、目のごみと格闘した。しかし、何とか取れました。

K子は深く溜息をついて、目をぎょろりと剥きながら、

「うん、取れた取れた。で、何だっけ」

 と言って、まだハンカチを片手で握りしめながらパスタを口に運ぶ。むつ美は頭に何も思い浮かばなくなって、焦ってしまって、ついさっき自分が馬鹿なのか阿呆なのかと自問したことは思い出せたのだが、何に関してそう思う必要があったのか全く思い出せない。

何故、何故。何故?人と話しているとこう何もかも分からなくなる。だが、それさえも言葉にすることができず、そうこうしている内にまたトーマスが回ってきた。相変わらず、口角の裂けた、ものすごい笑顔。むつ美はそのお顔を見て、励まされたというより、小馬鹿にされたような気持ちになりましたよ。といっても、所詮、ただの玩具の電車か何かなんですし、気にする理由は微塵もない筈ですが。もう、なんで?

「ああ!」

 そこへ来てK子が空気の多い悲鳴を上げた。それから、鼻でくすくす笑った。ちょっと待って、今は私こそがそういう悲鳴を上げたい。むつ美は身を引いて目を見張ると、K子は真顔に戻って、ずれた袖を揃えるために角張った両肩を交互に大袈裟に振りながら、

「そうそう、そうよ、智子のことよ」

 と、目配せした。でもむつ美は、笑えなかった。まだ思い出せない。真ッ暗けで、押入れの奥より暗い。

智子のこと?

 答えは、案外早急に届いた。K子がまたホウレン草の塊を飲み込むと、言った。

「智子、今度インドの人と結婚するそうじゃない。あの、ずっと付き合ってた彼」

 むつ美は俄かに合点、納得した。インド人のフィアンセイの話をしていたのだ。機関車トーマスがあまりにも騒がしく、忙しく走り回るから頭が吹っ飛んでしまったではないか。テーマレストランがいやに流行っているようだけれど、『トーマスの館』はやはりきつかったか。むつ美が選んだのだが。

Saturday, September 11, 2010

マリーゴールド (一)

機関車のトーマスは山を越え谷間を越え、白い渓流に架かる真ッ赤な橋の上を渡って行った。がたごと、ん・ん・ん、線路の音が鉄骨に響く。トーマスの青いお顔は山の緑に光り輝き、谷間の木陰に安らいで、絶えず絶えず移りゆく情景の中、豪快に・強く・憐れみ深く、微笑み通した。

 トンネルを出て、上り坂の緩やかなカーブを曲がり切るか否や、すぐその先に、むつ美の大きな横顔があった。そして、そのまた先にK子のとんがった頬。トーマスは持ち前の笑顔で、むつ美とK子のテーブルの真横を風を切って通り抜けた。汽笛も何度か鳴って、煙とその効果音も、シュルシュルシュル青白く垂直に上がった。

 むっちり・むっつり・むっしりむつ美がごぼうのパスタを噛んでいる間、

「旦那がインド人て、どんな感じかしら」

 と、色白のK子が言った。

むつ美は答えようとして、やめた。旦那がインド人。どんな感じなのでしょう、分かりません。かわりに、紅茶をすすりました。

K子はK子で、一生懸命ホウレン草を食べる。オーダーしたホウレン草のパスタが、手違いで運ばれてくるのが恐ろしく遅くなって、やっと食べ始めた所だったのだ。お腹が空いている!K子は暫く噛んで、やっと呑み込むと、一度瞬きをしながらもう一度聞いた。

「何だか少し憧れない?」

 憧れる?むつ美がまた紅茶をすすりながら考える。考えている間に、機関車のトーマスはもう二周目、むつ美の丸い鼻のぎりぎり手前を通り抜けて、また汽笛をシュッシュシュッシュ鳴らしながら行ってしまった。

「そうねえ」

 とむつ美はまずは声を発してみる。憧れるのか、憧れないのかどちらでもないか。声に出して考えれば、答えが見つかるかもしれない。否、全然何も考えが浮かんでこない。ということは、私は馬鹿?つまらなくて、無関心な、面白みの無い人間?もう、さようなら。

右往左往考えている内に、テーブルの向こう側でK子が一人で騒ぎだした。ものすごい勢いで体を右左に揺さ振りながら、激しい瞬きを繰り返している。

「目にごみが入った」

 そうK子がか細い声を絞り出すと、むつ美は慌てて、K子に到底聞こえる訳がないのに、

「目薬とティッシュ」

Tuesday, September 7, 2010

マリーゴールド、来たる

どきなさい、前座たち!
マリーゴールドのお目見えよ!

私たち、本当のお花畑を知らない。
私たちは、花もない花畑に暮らしているのよ。
だからこそ、花を紙に描いて命を請うしかないの。

無駄ばかりよ。
無駄ばかりの人生で、丁度いいのよ。
花だって、無駄なように見えて、実は違うんだから。

葉ッパや根ッコは食べられても、花は普通、食べられないじゃない。
だからよ。だから花は命の記憶となるのよ。
最後まで残って、歩道に円をえがくの。